62歳男性

2012年訪問

昨夜は島原半島の西海岸にある小浜温泉に宿泊した後、山上の雲仙温泉や雲仙地獄を見学して、そして東側へ下りながら雲仙普賢岳の巨大な火砕流跡や道の駅(みずなし本陣ふたえ)での火砕流での被害の痕跡をみて驚嘆したものです。 
その後、島原F・T(フェリーターミナル)から熊本へ到るのに充分な時間があるため、島原城へむかいました。 市街地を少々行くと島原駅があり、其の駅前からは島原城の天守閣が見通せました。


島原城は立派な石垣の上に主城の本丸や北側の二の丸と三の丸を配置していて、本丸御殿は五層の城郭の天守をもち実に壮大でありました。 しかし、本丸全体を見ると階層のみで普通の日本のお城のような「破風」等の構造体がないため、何か全体に平ったい感じと言うか、ノッペリした感じは否めないのです。 因みに、破風というのは階層の部分に装飾用の切妻様式の屋根を施したもので、それ自体がお城の美しさを醸しだしているのです。 しかし此処、島原城の本丸にはこの破風が無いのです。


ところで、この島原は江戸期に周知のような「島原の乱」が勃発したところでもあります。 島原城主の松倉重政は島原城建設のために多額の出費が必要になり、住民の取立てで苛政を敷くのです、尚且つ、幕府のキリシタン禁止令で過酷な弾圧を行ったということで農民一揆を引き起こすことになるのです。 この時、指揮を取ったのがかの天草四郎であり、城下庭園にはこの四郎の像が立っておりました。 尚、島原城の城下には島原城の築城と同時に武家屋敷が造られたが、その武士の屋敷跡は現在でも昔のままで数軒が残されていました。


image1430097501 image1430097503 image1430097502 image1430097504 image1430097505